衝動

いま授業の課題でチューリングさん(の暗号解読における業績)について調べているんですが,そのせいか急に,もう激しく「世の中に役に立つソフトウェアを作りたい」欲求が生まれてきました.
研究で作っているソフトウェアやシステムが実際に世の中にイノベーションなり成果なりを生むのはずいぶん先になる(もしくはそれすらないかもしれない)と思っていますが,翻って自分のソフトウェアって「誰かに実際に役に立っている」度は非常に高くて作る側としての満足度も高い.
システムと言っているくらいだからシステムらしく分析すれば,一つ一つのサブシステムはもう局所最適化の積み重ねでしかなくて,日々のコーディング作業自体に大きな意味は見いだせなくなりつつある(ソフトウェア的な「最適化」とは別の概念ね).そう考えたときに全体最適化,すなわち設計レベルでの行動はコーディングよか遙かに重要なわけで,ことの当事者としてもこちらに自ずと興味が移ることになる.そうしてコード書きが途方もなくむなしい作業に見えてくるという寸法か.
矛盾を感じる.
PSS のプログラミングは上記の理由からなんとも味気ない作業になってしまうわけですが,全く逆に研究室で自分以外の誰かのプログラムを書いている瞬間は一言で「楽しい」と形容できてしまうのです.人には「研究自体は当人が行っていて理論的な足固めが出来ているから,難しいことを考えずにただそれを実装して動いたときの快感だけを得ることができる」からだ,と言ったりもしました.
程度問題なのかなぁ.別のモデルが必要かなぁ.
ただ,楽しいと感じるのは紛れもない事実.「役に立つ」かどうかが重要なのだとという視点で考えればあながち間違ってもいないか.

というわけで,ここまで書いてようやく僕の日記は日記なんだと実感するわけです.
BLOG的な文章をかける日がくるんでしょうか.自分だけで精一杯.外に目を向けられる人がうらやましい,つーかすげーと思う.