アイデアを実現する者

結局は道化師に過ぎないのだろうか.
完成したシステムに対する最大の貢献者は誰なのかと考えたとき,僕自身の立場は一次的にはシステムを構築する側の人間であるためか,そのシステムの最も抽象的で粒度が荒く,あるいは実現への道程が180度ずれているようなアイデアを提案した者であると考えている.一般的にもアイデアを思いついた者が評価されることが多いが,PSS のようなソフトウェアについていえば,結果的には著作権者となる者が評価を受けることになる.もちろん,責任も負うことになる.
典型的な例では,僕自身は本心としては大反対をしていた「英和入力モード」の搭載の件.ユーザには残念なことに各モードは一律並行して提供されるため,作者の意志など介在しきれないレベルで英和入力モードを利用し,PSS の有用性が認識されずに終わってしまうことが多い.元々は和英入力モードのみが搭載されていた PSS では,英和入力というものが実用的ではないと判断されていた.しかし,アイデアを提案する人間(この場合はユーザでしたね)はその詳細や有用性,ユーザビリティ,簡単に言えば使いやすさまでは意識せずに,「他にあるから付けてよ」あるいは「作れるなら作ってくれ」と要望を述べる.
熟慮に熟慮を重ね,否定的な気持ちを持ちながらも実装した英和入力モードは予想通りの使いにくさであり,それに関する予想通りの否定的な意見がさらに多く寄せられることになる.この責任,具体的には弁解の言葉を発するのは他でもない僕なのだ.
こんな損な役回り,誰もやりたがらないだろう.こういった自分勝手に出来ることと出来ないことの狭間に立たされるのは僕だけじゃなくオンラインソフトウェア(いや,一般にソフトウェアと言ってもいいかもしれない)を作っている全員が一度は経験するものでしょう.
有り体に言えば「こんなん作っても意味がないよ」と分かっていながら作り込む,そんなソフトウェア開発が日常的に行われているとすれば,こんなに悲しいことはない.もっと設計をちゃんとしてください,と言いたくなるでしょうね.

今日書きたかったのは,ソフトウェア開発のネガティブな側面ではなく,もっとポジティブな部分でした.アイデアを実現する者のみが得られる特権.それはもう,(僕は頭が悪いのでしょうもないことを言ってしまいますが)アイデアを提案した人が夢見た世界を一番最初に味わうことが出来ることでしょう.RUN ボタンを押したときに綺麗にソフトウェアが動作する瞬間ほどソフトウェア開発者にとって至福の時はないと思うのです.

んまー,最近は設計してるときも楽しいんですけどね.
これについてはまた今度述べます.